戻る

『地球に優しい』

足立 浩

誰しもが一度は聞いたことのある言葉だと思う。
日本環境協会が認定した「環境負荷が少ないなど環境保全に役立つ と認められる商品」に付いている「エコ・マーク」に書かれている言葉である。
今や知らぬ者はいないであろうほど著名な言葉であるが、これに疑問を感じ たことはないだろうか。
私は常に疑問を感じている。地球に優しいとは、どういう意味なのだろうか?

『地球は今、危機に瀕している』
これもテレビ・新聞などでよく見聞きすることのできる言葉だが、地球の危機とはどのようなもを言うのか、一度よく考えてみてほしい。
単純に考えれば、地球という惑星そのものが分裂・崩壊・爆発・四散・消滅してしまうようなことが起こるとすれば、それは地球にとって大いに危機であろう。
消滅までいかなくても、地球が惑星として存在できなくなることが、地球にとって危機と呼べうることにあたる。
だがそのようなことは当然ながら起こる気配もないし、そのような事態には悠長に環境保護などと言ってはいられない。
ならば、本当に危機に陥っているのは、地球ではなくて何であるのか。

危機に陥っているのは生態系と呼ばれるものだ。
若干意味が変わるかもしれないが、現在の地球上に存在するすべての生命(当然、人間を含めた)が生存可能な世界、と考えても差し障りはないと思う。
現在行われている環境保護運動というものの大半は、私が知っている限りでは人間が今の生活水準を落とすことなく、できる限り長期間存在し続けることができる世界を作ることを目的としている。
地球のことなどいっさい、と言うのは言い過ぎかもしれないが、考えていないのが実際だ。
『地球に優しい』に対して感じる疑問は、この辺りを源泉にしているのであろう。
そもそも、自然環境を大幅に破壊できるのは現状では人間だけなのだから、本気で自然を守りたいのであれば人間の数を大幅削除した方がおそらくは手っ取り早い。
自分たちを守るために行うべきことを、地球に対してやってあげるという感情にすり替えるこの手の言葉は、人間の傲慢さを素直に表現してるように思える。
たとえ現在地球上に存在するすべての生命(当然、人間を含めた)が死滅し、さらに今後生命が存在できない環境になったとしても、地球はそこに確かに存在し続けているのだから。

現在の自然保護は必要ではない、などと言う気は毛頭ない。
このままの状態で破壊が進めば、いずれは地球上に人間の存在できる場所はなくなってしまうのである。
それは、人間として避けなければならないことのはずだ。
しかしそのような、どこかで人を騙くらかしているような言動では、今一つ信用する気が起こらないのではないだろうか。
素直に、「人間を守ろう」であるとか「今の生活を守ろう」と言った方が関心も興味も湧きやすいように思えるが、いかがなものか。

人間が人間をもっとも大事に思うこと、それは当然であり恥ずべきことではないと思う。

?

戻る