クワバラのテクスト
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テーマ別に分けています。タイトルが赤色のものはPDFファイルで読むことができます。また出版社名・サイト名が赤色のものはリンク先で単行本や掲載誌を入手可能です。 なお掲載誌発行後に見つかった誤字・脱字は修正しています。 1880年代(明治前・中期)についてどのように文化の固有性は保証されていくか―「自然」というイデオロギー―1995年5月30日 『国語国文研究』100号、P1〜13 進化する文学―文学という生命・序― 2001年3月31日 『近畿大学日本語・日本文学』3、P13〜26 「日本」を論じることはどこにつながっているのか―「内部」の自明化と「普遍」的なもの― 2002年7月28日 『国語国文研究』121号、P19〜34 エンサイクロペディアとしての小説―幸田露伴と「浮城物語」論争― 2004年3月31日 『近畿大学日本語・日本文学』6、P51〜65 (pdf化に際して幸田露伴の小説についての誤った記述を一箇所削除しました) メディアとしての小説―一八九〇年の「報知異聞浮城物語」― 2005年3月31日 『近畿大学日本語・日本文学』7、P28〜42 (pdf化に際して「嘉坡通信報知叢談」についての誤った記述を修正しました) 享受者を分つ境界線について―小説読者不信の系譜― 2007年3月28日 『混沌』(近畿大学大学院文芸学研究科)第4号、P63〜75 難民・亡命者の位置明治期の政治小説から見えてくるもの 2008年6月5日 『述』(近畿大学国際人文科学研究所紀要)2、P127〜137 「嘉坡通信報知叢談」論―メディアとしての小説― 2009年9月30日 『文学・芸術・文化』(近畿大学文芸学部論集)第21巻第1号(通巻第46号)、P17〜36 「浮城物語」論争以前の内田魯庵・石橋忍月の小説・評論について 2021年8月31日 『文学・芸術・文化』(近畿大学文芸学部論集)第33巻第1号(通巻第68号)、P75〜92 『郵便報知新聞』データ『郵便報知新聞』掲載小説リスト(1886〜1889年)メディアについてただで読める文学と思想ネット依存者の体験による2011年1月30日 『述』(近畿大学国際人文科学研究所紀要)4、P104〜117 小説について太宰治「俗天使」論―「聖母」と「私」、「私」と「作者」―1992年3月30日 『国語国文研究』91号、P54〜63 武田泰淳「風媒花」論―「エロ作家」と「プロ作家」― 1998年11月10日 『国語国文研究』110号、P32〜48 「憂鬱妄想狂」の「一人角力」 「善蔵を思ふ」論 1999年6月19日 『太宰治研究』6、P44〜56 (pdf化に際して文章を修正しました) 和泉書院 リアリズムへの悪意―現実と小説の(無)関係― 2002年3月31日 『近畿大学日本語・日本文学』4、P69〜82 (pdf化に際して文章を修正しました) 軍隊と身体―「挟み撃ち」あるいは「神聖喜劇」― 2006年3月31日 『近畿大学日本語・日本文学』8、P43〜59 1970年代の日本の〈小説家についての小説〉について 2016年3月30日 『文学・芸術・文化』(近畿大学文芸学部論集)第27巻第2号(通巻第59号)、P1〜20 大西巨人の小説における感覚表現について 2017年7月31日 『渾沌』(近畿大学大学院総合文化研究科紀要)第14号、P29〜48 自然主義の小説と通俗性―排除される佳人― 2018年9月30日 『文学・芸術・文化』(近畿大学文芸学部論集)第30巻第1号(通巻第64号)、P1〜18 小説を読むための、そして書くための小説集 読み方・書き方実習講義 2019年4月1日 ひつじ書房 234ページ 太宰治「女の決闘」の先行テクストおよびそこから発展する問題について 2022年8月31日 『渾沌』(近畿大学大学院総合文化研究科紀要)第19号、P77〜92 評論について論じたくてしかたのないあなたへ―マンガ論の過去と現在―2007年3月31日 『近畿大学日本語・日本文学』9、P3〜14 闘争する魂―プロとして商品を売る話― 2016年3月1日 『坂口安吾研究』第2号、P81〜88 (依頼字数に合わせる前のロング・バージョンを公開) 大江健三郎について大江健三郎「個人的な体験」論―決断するということ―1991年7月30日 『国語国文研究』89号、P15〜33 (『大江健三郎論』に収録) 大江健三郎「芽むしり仔撃ち」論―〈自己〉のために戦いを選んだ「僕」― 1992年12月30日 『国語国文研究』92号、P45〜56 (『大江健三郎論』に収録) 大江健三郎「万延元年のフットボール」論―蜜三郎の言葉と眼― 1993年2月28日 『国語国文研究』93号、P49〜60 (『大江健三郎論』に収録) 大江健三郎とは誰か(鷲田小弥太・中澤千磨夫との共著) 1995年8月15日 三一書房 280ページ 日本の古本屋 大江健三郎論 1997年4月30日 三一書房 258ページ 〈私〉を書くこと―〈戦後派文学〉の継承― 小説と〈私〉―『「雨の木」を聴く女たち』―(前半) 小説と〈私〉―『「雨の木」を聴く女たち』―(後半) 家庭・〈われわれ〉・民主主義―『新しい人よ眼ざめよ』― 小説の教育は可能か―『キルプの軍団』『静かな生活』他― 日本の古本屋 大江健三郎と原子力、そして天皇制 2012年3月 『述』(近畿大学国際人文科学研究所紀要)5、P51〜68 大江健三郎と自衛隊、その持続性 2013年3月 『述』(近畿大学国際人文科学研究所紀要)6、P101〜116 一九八〇年代の大江健三郎による自身の小説の再利用・再生の方法 2014年3月 『昭和文学研究』68、P1〜13 笠間書院 大江健三郎『燃えあがる緑の木』について―1989〜90年の天皇代替わり儀式との関連から― 2020年8月 『渾沌』(近畿大学大学院総合文化研究科紀要)第17号、P29〜49 大江健三郎「ピンチランナー調書」論―三島由紀夫「美しい星」のパロディとして読む― 『文学・芸術・文化』(近畿大学文芸学部論集)第30巻第1号(通巻第64号)、P1〜18 |
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