第三章 告白という制度( P.97〜P.126)(前期)1. 日本の「近代文学」は、告白の形式によって始まった。それは単なる告白とは根本的に異質な形式であり、その形式によって告白さるべき「内面」が作り出された。 二葉亭四迷の『浮雲』が西洋的な意味での小説を実現しかけて、島崎藤村の『破戒』がその方向を示したにもかかわらず、田山花袋の『蒲団』によってねじまげられた。 ←西洋を正常であるとした前提に基づく見解=日本の文学史的常識 告白について、「内面の発見」の「言文一致」の制度の確立と同じように言える。 ( P.76 「内面」がそれ自体として存在するような幻想こそ「言文一致」によって確立したP.82 「言文一致」が確立されたとき、「言文一致」の意識が無くなるほどそれが定着したとき、「内面」が典型的に現れた)「告白」の特異性; ・告白という制度によって、告白さるべき内面、「真の自己」なるものを産出する ・告白するという義務が、隠すべきこと、「内面」を作り出す 告白という制度の中で隠すべきことが生じ、それが制度である事は意識されない 告白とは一つの制度であり、一旦成立制度の中ではじめて隠すべきことが生じるのであり、それが制度である事は意識されない ・告白という行為に先立って、告白という制度が存在する 告白される「精神」は告白によって作り出されたものであり、それはいつでも物質的な起源を忘れさせる ( P.24 風景とは一つの認識的な布置であり、それがいったんできあがるや否や、その起源も隠蔽されてしまうP.42 風景がいったん成立すると、その起源は忘れ去られる)西洋の正常さが、それ自体異常だとすれば? 西洋を追随する小説発達を求めるのは必ずしも正しいとは限らない =日本の「私小説」の異常さの発端なのか? マタイ伝における、姦淫という「事」ではなく「心」が問題視されるという転倒 たえず「内面」を注視する事によって「内面」が存在させられ、このことにより(すでに「肉体の抑圧」の下にある)「肉体」、或いは「性」が見出された。 田山花袋の『蒲団』がセンセーショナルに受け取られた理由; (=島崎藤村の『破戒』より影響力を持った理由) それまでの日本文学における性とは全く異質の、はじめての「性」(=告白によって見出されたもの)が書かれたから =告白・真理・性の三つが結合してあらわれたから 「真理と性が結ばれているのは、告白においてである」(ミシェル・フーコー『性の歴史』) →西洋社会を編成してきた転倒力 酒井 ・具体的には調べられませんでした。(未解決) ・これまでにも、違う言葉や P.36の西洋に固有の転倒などと似たような言葉で書かれているような、西洋の基盤となっている認識論的な場における力のこと…でしょうか?
2. 明治40年代前に、既に告白という制度は存在していた =「内面」を作り出すような転倒が存在していた=キリスト教的な転倒 <正宗白鳥『明治文壇総評』> キリスト教は一過的なもので、さしたる痕跡も留めなかったように見えたが、この頃考え直してみると、自然主義時代の人々が懐疑・懺悔・告白などを気にしだしたのはキリスト教の「影響」だったのではないか? キリスト教をとろうととるまいと、「文学」に感染するや否やその中に組み込まれてしまう =西洋の「文学」を読む事によって、キリスト教的に転倒した世界を“自然”として受け取ってしまう 不自然な「粋」と「恋愛」; 「粋(道)」とは、遊郭内に成長した観念であり、恋愛のように溺れるものではない 「恋愛」はヨーロッパに発生した概念であり、西洋の「情熱恋愛」はキリスト教の中で発生した「病気」である キリスト教に触れなくても「文学」を通して「恋愛」、宗教的な熱病を浸透させる=感染する 「文学」に影響を受ける事で恋愛の現実的な場を形成する →『蒲団』の文学少年・少女達 このように、「近代文学」には例外無しにキリスト教の影響があらわれ、しかもそれだけではなく、「文学界」同人や田山花袋・国木田独歩らがキリスト教徒だったことのように、もっと直接的に「近代文学」の源泉にあった。 酒井 恋愛とは、関わった誰もがおぼれてしまうもの、ということなのでしょうか。そして恋とは一方が思いを募らせることなのでしょうか。では、恋愛がかつての日本になかったということは、誰もがおぼれる程に真剣にならなかった、ということなのでしょうか。古今集などに恋の歌がありますが、あれらも皆、現代人の恋愛感でもって勝手に解釈したものなのでしょうか。 ・歌の解釈は、現代の考えに当てはめたものなので、当時とは差異があると思います。 畑中 佐渡 P106後の、「恋」と「恋愛」はどう違うのでしょうか? ・文中には「恋」は出てくるのですが、詳細が無いので分かりません。 「粋」と「恋愛」の違いは、「粋」が恋愛のように溺れるものではなく、双愛的ではないのに対し、「恋愛」が反キリスト教的でありながら、肉体が抑圧されていても精神は思いあっている「情熱恋愛」のようなものであることではないかと思われます。
3. なぜこの時期にプロテンスタティズムが影響力を持ったのか? ・「精神革命」は、平民か、それ以下の状態にありながら、その意識において平民たりえなかった士族から生じたのであり、平民から生じたのではない ・もはや武士たりえない武士、しかも武士たる事にしか自尊心のよりどころを見出しえない階層が敏感に反応した キリスト教がくいこんだのは、明治体制から疎外された旧士族の、無力感と怨恨に満ちた心 →キリスト教徒であることによって「武士」たることが確保できたため ←キリスト教が大衆化しえなかった理由でもある 江戸時代においてすでに、武士は「あやふやな、有って無きがごとき」存在になっていたので、その存在理由を確立するために「武士道」の理念が必要とされたが、封建制度の崩壊によって武士道も支えではなくなったため、キリスト教へと転化した。 武士道の倫理は「主人」の倫理だったが、キリスト教は「主人」たることを放棄する事によって「主人」(主体)たらんとする逆転をもたらした。 主人たる事を放棄し、神に服従(サブジェクト)することによって「主体(サブジェクト)」を獲得する subject ;支配される、従属の、従属する/【哲】主体、主観、自我、実体キリスト教のこの転倒だけが、明治の没落士族の「新生」を可能にした。 告白は悔悛ではなく、弱弱しい構えの中で「主体」たること、支配する事を狙うものである。自身を隠さず語る事で謙虚な態度のように見せかけながら、それを逆手にとって「真理」を語らない事を糾弾する、権力意思の表れである。告白という制度は、外的権力に対立する形でできたものであるため、制度として否定される事は無い。更に、「文学」そのものにも存在するため、無くなることは無い。
4. 内村鑑三において典型的に示される、「主体」確立のダイナミクスとは; 内村鑑三は、キリスト教的一神教によって、多種多様な神々の矛盾に悩んでいた事から一挙に解放された =多神教から一神教への転換によって「精神」、「内なる世界」を獲得した =日本における「風景の発見」は、一種の「精神的革命」によってもたらされた ( P.25 国木田独歩における「風景の発見」、『忘れえぬ人々』P.90 日本の近代文学は、国木田独歩においてはじめて書くことの自由さを会得したといえる)「主体」は服従によって主体たるような転倒の中でしか在りえない 主観(主体)――客観(客体)という認識論( P.42 主観(主体)・客観(客体)という認識論的な場は「風景」に於いて成立した)には転倒が覆い隠されている主体(主観)は多神論的な多様性の抑圧、「肉体の抑圧」において成立する ←ただの肉体の発見でもあった これらにより、明治20年代から30代初めにキリスト教的であった人々は、自然主義に向かっていくことになる 例外的な志賀直哉; 志賀直哉は内村鑑三の門下生であり、内村との格闘によって小説家となった。 志賀は快活で活動的であったが、キリスト教を信じるようになってからは運動事など無意味な事のように思われ、全てやめてしまった。 →キリスト教は、志賀が「過剰な健康」を持っていたにもかかわらず、キリスト教は「精神的にも肉体的にも」健康だった志賀を病的な無力感に追い込む事すら可能なものであった 志賀はキリスト教の中の、多系的であり多様である肉体(欲望)を中心化させる専制主義(内村 の中にある専制主義)に反発した →「近代文学」が一つの主体・主観・意識から出発したことの転倒生に反発した =「一つの主観」を疑うところからはじめた ・志賀は、自身の人格は同時に他人の人格なのであって、この二つの人格の無差別により転嫁を可能とする発想により、幼児的・原始的であるといわれたが、私は私で他者は他者であるという区別に先立つ身体性を感受していた ・彼は主体を主体として定立することの転倒性をみていた 肉体と生理学とに出発点をとるのは、私たちの主観という統一を、一つの共同体の頂点をしめる統治者であるという事と共に、この統治者が被統治者や、個々のものと同時に、全体を可能ならしめる階序や分業の諸条件に依存しているということを、正しく表象することが出来るからである。 志賀の観点から見た、明治20年代における認識論的な布置の組み換え; 宗教あるいは文学における主観(主体)の成立は、「近代国家」の成立に対応している 内村を悩ませていた多神論の矛盾と同じように、封建時代の形式的な矛盾や、徳川体制における天皇、将軍、藩大名が優劣無く並び立っていたことなどによって、人々に多神論敵葛藤をもたらした。そして明治20年代に入って明治国家が「近代国家」として成立し、ようやく位階制が明確化された。 それと同時期に反体制の側から「主体」あるいは「内面」が形成され、相互浸透が始まった。 ( P.49 明治20年代前後の近代的諸制度の確立が言語レベルであらわれたものが「言文一致」である。)明治20年代における「国家」および「内面」の成立は不可避であったが、そのような転倒を自明とする思考は批判すべきである。対立するものが互いに補完しあいながら互いの起源を覆い隠してしまうので、制度としてたえず自らを再生産する「文学」の歴史性が見極めなければならない。
堀田 今までの章より少し短めの文章ですが、その分、この章ひとつとしての纏まりは良いのではないかと思います。 ・そうなのではないかと思います。 阪本 ・キリスト教による肉体の抑圧によって、肉体的な行動が無意味なものであると感じられ、活動的でなくなってしまったようです。2部の、感染する「恋愛」と同じもののようです。キリスト教に接する事によって、無力感にとらわれてしまったという事だと思います。
小林 「近代国家」は、中心化による同質化として始めて成立する。むろんこれは体制の側から形成された。重要なのは、それと同じ時期に、いわば反体制の側から「主体」あるいは「内面」が形成されたことであり、それらの相互浸透が始まったことである。 ここでいう相互浸透、とは具体的にどのようなことだと思いますか? ・すみません、未解決です。 |