『不如帰』についての発表より(後期)

この作品は家政に大きく関係しているものであり、作中に二つの家庭観がある。まず一つが浪子、継母の新しい家庭観である。これは明治の新思想である「良妻賢母」という、女が妻として母としての役割を持った思想の下、そして家父長制の下に成り立つ家庭観である。それとは逆に、山木母は古い家庭観の持ち主で、これは江戸時代以前の武家にある思想であり、母親、妻というものは家政、子供の教育に関わることが許されないという、実に男尊女卑の激しい思想である。この両者間には大きな格差があり、『不如帰』は新たな時代に模範的思想として新思想を広めようという働きを担った作品である。
これまで私は『不如帰』で戦争・結核という要素を大きく取り上げていたが、授業で初めて家政というものを知り、小説が社会に模範的思想を広める働きがあることを知った。また、「良妻賢母」というものに対する誤った解釈、この思想は古くからあるものだというもの、を変えられた。現代に於いては古い思想と思えるものでもそれが新たな思想であった時代が当然あり、その点では特に歴史が重要視されるのだ、ということを実感した。
演習を振り返ると、充分に自分が取り組めていなかったことが悔やまれるが、新たな発見には喜びを感じた。


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「病という意味」(前期)

文学に於ける病というものは一体どの様な影響を持っているのか、を言及した。まず、一作家が自身の父の事を物語化した小説が取り上げられているが、しかしそれはあくまでも小説であり、いくら実話が元と言われていてもそこに作家の主観が混じっているのでその真実は不確かなものでしかない、ということを私は見落としていた。しかしながら、文学上に病という特殊なメタファーが存在しているのは確かである。それは『不如帰』という小説で主人公が結核で死ぬことが世間に哀れみを誘ったことで如実に表れている。そのメタファー発生の理由は、明治二十年代に西洋思想が取り入れられたことで神学的発想である原因確定の思想が蔓延したからである。病というものを唯一原因と捉え、それさえ除けば回復すると思い込んだのだ。しかし実際の病は、内的要因、外的要因、様々な諸関係によって発生するものであり、単純なものではない。その真実を見失い、病を唯一の悪と捉えた時に、隠喩的意味が生まれたのである。
明治二十年代に蔓延した西洋思想は、病だけでなく、様々なものの捉え方を転倒させ、固定化し、本来の意味を見失わせたのだ。


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