「舞姫」(後期)

柄谷の『日本近代文学の』の起源において、鴎外の「舞姫」は二葉亭の「浮雲」と比べ、どちらがより言文一致に近いのか比較している。俗説では文語体を使う舞姫よりは「敬語なし」、身分を超えたニュートラルな表現により近い「だ調」を用いた(それでも広義の意味では敬語であるが)二葉亭の方が言文一致により近いとされる。しかし柄谷はこうした語尾の問題からのみ「言文一致」を語る事に反論している。舞姫は文語体を使っているものの、その骨格は完全に翻訳対であり、その文章を英訳する事はたやすく、写実的である。「浮雲」はほとんど翻訳不可能で写実的でない。その文体は馬琴や人情本のようなものであり、言文一致とはいえなかった。言文一致で書くには、日本語の従来の話言葉と書き言葉のいずれからも離れなければならない。鴎外の文体は語尾だけを変えればただちに現在の文体になおしうる。よって鴎外の方が言文一致に近いといえる。

舞姫は近代的自我の問題としてとりあげられる事が常である。ベルリンに官費で留学した豊太郎が踊り子エリスと出会い恋におちるが、やがてエリスとの愛を捨てて帰国してしまう、という物語は愛、すなわち自我をとるか、国をとるか(旧来の家父長制の問題ももからめられる事もある)といった様な対立的テーマとしてかたられやすい。そこに鴎外のドイツ留学や軍医としての個人的な経歴まで引き合いにだされ、鴎外のエリート意識からくると思われるナルシズムがすけて見えるといった批判も多い。
前田愛「ベルリン1888都市空間の中の文学」では作品の背景や都市空間から文学を批評している。ウンデルリンデンをバロック風の演劇空間、クロステル街をエロティクな空間とし、明と暗の空間として対立的にとらえている。前田によると舞姫は、豊太郎が境界線を超え、暗の世界へと踏み込んだがまた明の世界へ戻ってくる話なのである。
しかし自我の問題にせよ前田の意見にせよ、舞姫が一人称の話である事を見落としている。あくまで豊太郎の主観でのみ話は語られているので、他の人物の考えもわからないし、話が事実なのかも不明だ。全て豊太郎の嘘である可能性もある。ましてや鴎外の経験を照らしあわせているという保証など何も無い。鴎外自身、そのように事実を自由に取捨し、何らかの意味を見出そうとする姿勢に批判的であった。柄谷は「舞姫」は文語体でかかれている事もあって、旧来の言語から言文一致へと移行する際のつなぎ、テクスト的な存在であって、自己表現ではないとしている。
ひとつ作品を窓口とし分析し、作者の意図を分析したいなら、まず前提として、それが誰の視点で語られているかは重要である。そしてどのような内容であれ、そこから額面どおり作者の全てが解るとは思うべきでない。


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日本近代文学の起源(後期)

内面それ自体が存在しているかのような幻想が言文一致という制度により確立したのだが、その幻想は近代科学と深くむすびついている。中世では位階的な世界像、形象的な思考が支配的であり、近代文学における「なぜそこにいて、あそこにいないのか」といった問いや内面といったものも存在しなかった。このような問いは近代科学における均質的な世界像において可能である。均質的世界像とは 数学のようなゆるぎないもの、超越的とされる存在により保証された世界像である。その根源には言文一致の問題が存在する。いかなる科学であれ記述をもって始まるからである。正岡子規や高浜虚子が風景を記述し写生する事は科学的といえる。逆にいえば記述に専念することに内面をゆるぎない存在として確立する転倒がかくされていた。と同時に内面とはどのように成立したのか、そもそもなんなのか、といった「起源」を問う事が忘却されてしまった。
例えば政治思想家ルソーは「自己意識」だけが透明な存在であり、それを文字や音声で媒介したとき不透明な存在となると考えた。つまり自分の「思うまま」を言葉で正確に書く事は無理という事である。国木田独歩も不透明な膜、音声表現や言語表現のような二次的なもの、に隔てられているように感じており、それを突破し透明に達したいと願っていた。。しかしそこには「自己」というものが真
に存在しているという幻想が存在している。このとき内面が存在する。 しかし夏目漱石や森鴎外は内面や自己を実体的なものとしてみる幻想をもちえなかった。彼らにとって自己とは実体的な何かではなく、様々な要素、諸関係の総合的なものであり、多義的な存在なのである。これは線的で単一な言語活動を行って生きている内面という一つに制度の中にいる我々には想像できない。
結局文学の主流は内面を実体的なものとする国木田独歩の線上を流れる事となるのである。

授業中の質疑

東京という政治的歴史は武蔵野という人間と自然の関係としての一部、とはどういうことですか?
:武蔵野という地形はは東京が明治に入り存在する遥か以前から存在するわけであり、人間もその東京以前から存在している。つまり東京の歴史は長い武蔵野の歴史の一過程であるという事。

P77「中世の質的に意味付けられた形象的空間」とはP63「キリスト教的な先見的な概念がビジュアルに存在した」という部分に出た「立派な教会」のようなはっきり目に見えるものの事でしょうか?
:はっきり目に見えるものではなく、当時のキリスト教的な概念により考えられていた世界、それがどんな概念なのか現代の私達には想像できないが、において教会は神のおわします空間としてとらえられていた。それが当時の、理由も何もない自明の事であったのでそれはなぜなのかという質問は今の基準で答えることはできない。

心理的人間は内的人間と同じと考えていいのでしょうか?
:いいと思う。どちらも真の自己が存在するという幻想をもつものをさす。

P85国木田独歩の新しさとはそのような切断にあるとありますが何が何と切断されたことなんでしょうか?
このことはなにをもたらしたのですか?
:歴史を政治的や人間的な出来事から切断、つまり人間的出来事でなく純粋に人間と自然のやりとりとしてとらえる事である。それによってはじめて風景が見出される。風景は言文一致による書記表現によってのみ描写でき、その文による表現の慣れが内面の発見につながるのである。

P79の最後の行からP80の「いいかえれば、形象の抑圧こそ、超越論的なものの起源がある」とありますが、この形象は何を抑圧しているのでしょうか?
:「形象」が抑圧しているのでなく「形象」を抑圧しているとこの場合とらえるべきである。


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