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山田 規之
初めてのゼミ。初めて自分の意見・解釈を人前で発表し、それに対して他の参加者から質問・疑問・否定が向けられる… とてもスリリングな体験でした。緊張して言い間違えたり、準備不足で理解できなかったりと失態を繰り返してばかりで何かを学習できたか不安です。それでも積極的に発言しようという目標はある程度達成出来たと思います。発言内容の質はさておき(下手な発言で度々進行を停滞させてすみませんでした)、ゼミでは発言しなければ、ゼミにいることは出来ても、参加していることにはならないと考えていたからです。テキストをゼミの他の参加者が言う解釈のままに覚えたり理解するだけでは、新たなテキストが現れてそれをただ読んでいる状態になるからです。ゼミは討論を行う場であり、議題に対して発言し、時には自分の意見に相手を理解させねばならない。そういうことを繰り返して、ある一定の見解を皆で創り、その後個人で意見を持つことが大事なのだと思っていました。
さてゼミで前期に扱った『探究I』は、私に素養が足りなかったために当初難解な印象を持ちました。《他者》とは何か? 《外部》との関わりは? というこの本のテーマに翻弄され、デカルト・プラトン・フッサール・マルクス・バフチン・ウィトゲンシュタインなどの古今の思想が次々と登場するので混乱してしまいました。時間に余裕のあるときは、思想家の著書などを手に入れてそれを読み、付け焼き刃でゼミに臨んでいました。その中でも多数回登場したのは、マルクスの思想でした。経済学について何となくではありますが、理解をしていると思ってきたのが、『探究I』でマルクスが登場し、その解釈が書かれ、《他者》の説明に応用されているあたりになると理解の範疇を超えてしまいました。これではいけないと奮起してマルクスの資本論やその関連書籍を購入し、かなりの時間をそれらの読解にあてました。するとある程度の域に達したときに『探究I』のマルクスの例えが的を射た表現であると理解し、より内容を学習することが可能になりました。それは勉強し知識を得る喜びを再確認させてくれるものでした。
「ゼミの感想を」ということでしたので、私が思い感じたことを中心に書いたのですが、『探究I』ではそれは「無い」ということなります。(笑)まだまだ『探究I』を勉強せねばなりません。
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