戻る

99−1−81−259
中井 めぐみ

卒業論文テーマ
男性中心社会と女性の世界についての考察

内容検討中

ゼミと探究について

 私にとってゼミは、三年になって初めての授業形式だったので、「演習」という名前から推察して、個人がアクションを起こすことが必要不可欠なのだろうと解釈して、このゼミを受けることにしました。実際に、先生がまず解説をしてから授業を進めていく形式がなく、学生の発表を中心に授業が成立していったので、自分の存在を今までより大きく感じたり、一つ一つの発言を大切に考えることができたと思います。
 ゼミの課題であった柄谷行人の『探究』は、私が思想書というのか、いわゆる評論に初めて接した本になりました。この本は、私の今までの読書経験からは、想像を絶する程の難解な表現と内容を持って私を圧倒しました。  最終的には、おおかたの内容を理解し、それについて発表された事に対する意見を持てるところまで可能になったことに対して、今さらながら驚きです。
 『探究』の主題である「語る」こと、相手に「伝える」ことの難しさとそれを克服するための「教える」という視点で語ることは、広く日常的に行われていることであり、その現象について、私達は理解するといった次元よりもっと深い場所で認識する程度であったと思います。そのようなありきたりの、揺るぎない日常の現象にメスを入れ、新たに見直し、認識を再構築していくことは、容易ではありませんでした。
 そして、自らも納得していない状態で、他人に伝えること、自分が理解した後も新しい考えを相手に伝えることの難しさを発見しました。
 何よりも深く、『探究』の主題である「語る―聞く」という状態と、お互いの母国語である日本語を使っても、相手が全く理解できない他者の状態であると感じたのが、初日の浅野君の発表だったと思います。皮肉なことに、他者について語られているあの場面で、聞く側である私が、話者である彼の他者だったのではないかと思うのです。
 自分の発表に対して、十分に練りこまれた良い発表だったと思えないことは、とても残念だと思います。その上で、私ができることは、ゼミであることを十分理解して、参加することが、とても大きな意味を持つのだと、考えて授業に望むことだと考えています。
 確かに、章によっては全く理解できない部分もありましたが、あきらめて投げだすことなく、わからないなりに、どんどん意見を言い合って、ゼミの時間というものを、自分たちの手で作り上げていく、せっかくのチャンスを有効に使っていきたいと思っています。

戻る