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99−1−81−299
礒西 英子

 この授業で柄谷行人の『探究T』を読んできて、「他者」とは何か、コミュニケーションをとるとはどういう事かという事を考えるきっかけになったと思う。『探究T』はとても難しく、なじみのない単語も多くて読みづらかったが、新しい価値観を知る事ができた。
 私達は普段、自分の言っている事を相手も理解していて、それを当然の事のように考えているけれど本当はそうではない。相手が本当に理解しているかどうかは私には永遠に分からない。だからこそ相手に何かを言いそれを相手も理解するというのは「命懸けの飛躍」となるのだ。私はこの本を読んで、誰かとコミュニケーションをとること、相手が自分の言う事を理解してくれるのを当たり前と思ってはいけないのだと感じた。
 柄谷行人は哲学の場面での他者の重要性について何度も述べている。しかしこれは私達の日常生活においてもあてはまるだろう。同じ共同体の中にいれば、その人は自分と規則を共有しており、同じ言語ゲームを共有していると私は考えてしまう。でもそれは、相手がそれを既に学んでいるからにすぎないのだ。日常生活においてコミュニケーションが行われる事それ自体が神秘であるのだ。確かに、日常の何気ない会話では相手に他者性を感じる事などあまりない。でも、例えば自分が強く感動したり、悔しい思いをした時にそれを誰かに伝えようとすると、うまく理解してもらえない時がある。それは当然の事で、なぜなら相手は私と全く同じ体験をしている訳ではないからだ。相手が似たような事を以前に経験する、つまり学んでいるか、または私がその経験を教えれば、大体は理解してもらえる。でも、それは完璧ではない。私は普段の生活でも、相手が自分の言う事を理解してくれる、もっとひどい時には伝えなくても理解してくれると思いがちだ。でも、全ての人が他者である以上そんな事はないのだ。そう思った時は、私は他者と対話しているのではなく、自己対話をしているにすぎないのかもしれない。相手が「他者」であるという事を忘れなければ、私達はもっとうまくコミュニケーションをとることができるのだろうか、と思った。
 発表形式については、やはりレジュメなどの資料がないと要点が分かり難くて少しとまどった。私自身は、自分から発表しようとする事がなかったので、今後はそれを改めて、もっと積極的に質問、意見等もあれば、発表していこうと思う。それに、基本的な事だけど授業の前にきちんと自分なりの意見、要点をまとめておかなくてはいけないとも思った。

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