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赤野 貴子

『探究I』・ゼミの感想



 私が、他人の見ている世界と自分の見ている世界が同じではないということ、それを分かちあうことも知る術も自分は持たないのだと知ったのは4歳くらいの時だった。
 理由は何のことはない、フェンスが原因でのことだった。当時から私は3Dを見る目(焦点をあてる部分をぼやけさせる仕方。私は乱視ぎみの子供だったのかもしれない。)が得意で、よくそうして物をみていた。よくしていたのはフェンスの前で、フェンスの後ろの風景に焦点をあてると、フェンスが変なかんじで立体的になり、とても変なきぶんになったのだ。そうして私はよく遊んでいたのだけれど、私の友だちにはそれが出来なかった。彼女は何度も首をひねっては、「出来ない。」と言い、子供の残酷さで、
 「たかちゃんの目、病気じゃないの?」
と言った。あの時の衝撃は忘れられない。それは自分の信じる世界を根底からくつがえされたようなものだった。私にははっきりと現象として見えることが、彼女には全く見えないのだ。私は目の前にあるフェンスの変容をどうしても彼女に伝えることが出来なかった。いくら言葉で説明しても無駄なのだ。目をとりかえて彼女にその風景を見せることも出来ない。もちろんその逆も。私はたちまち自分の信じる世界を疑いだした。雲もブランコも自分の来ている服も、みんなは自分と同じように見えているのだろうか? この花は赤く見えるのかしら? でも、赤く見えると言われても、あの子の赤と私の赤は同じ赤なのかしら…?
 大げさでなくこの事件は、その後の私の世界観を全く変えてしまった。幼い私はこのことで本当に不安になり、小さい胸を痛めた。心細くてたまらなく、一生懸命確かめようとする程、私の言葉は無力で、世界は不安定だった。そして、自分が他人とつながりを持つ方法は「言語」しかなく、それが完璧ではないことを知ったのだ。成長する過程で、私は絶望こそしなかったけれど、「言葉」を信じることをそっとあきらめた。『探究I』の討論中私はそのことを考えた。『探究I』は私にはとても難しく、そのことをずっと難しい言葉で表したようにしか思えなかったから。
 ただ、私はあの頃より大きくなり、言葉をそっとあきらめる他に、その性質を受けいれるようにもなってきた。言葉をつかって、すべてを知り合えないからこそ、他者を貴いものだと思えるようになったのだ。単純にその複雑さを大切に思えるようになったし、言葉の無力さと同時にその強い力も思い知った。
 そして発表形式の授業でこそ、その力や無力さや複雑さが生きたのだと思う。私達が授業でやったことそのままが『探究I』の実践だったとおもう。発表形式と聞いて、はじめはとても嫌だったけれど、普通に生活していれば関わりあいがなかったであろう人達と、そういう根本的で、とても大切なはずのことを討論しあえるのはとても貴重なことで、素晴らしい場を得ているのだと思う。
 私達が実践していた「命がけの飛躍」はそう貴重な場所につながっているのだ。

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